2026.10.09

動物病院では、避妊・去勢手術、歯科処置、腫瘍摘出など、さまざまな場面で全身麻酔を使用します。
「麻酔は大丈夫でしょうか?」と心配される飼い主さんも少なくありません。全身麻酔はどなたにとってもとてもご心配だと思います。
現在の動物医療では、麻酔薬やモニター機器が進歩し、全身麻酔の安全性は以前と比べて大きく向上しています。しかし、人の医療と同じように、どれだけ注意して麻酔を行っても、ごくまれに予測することが難しい反応が起こることがあります。
今回は、その中でも非常にまれな「悪性高熱(Malignant Hyperthermia:MH)」についてご紹介します。
悪性高熱とは、特定の麻酔薬などをきっかけとして、筋肉の代謝が異常に活発になってしまう状態です。
通常、全身麻酔中の動物はむしろ体温が下がりやすいため、動物病院では保温しながら手術を行うことが多くあります。
ところが悪性高熱では反対に、体内で急激に熱が作られ、体温が上昇することがあります。
体温上昇以外にも、呼吸や心拍数の変化、二酸化炭素の増加、筋肉の硬直、不整脈、血液の酸塩基バランスや電解質の異常などが起こることがあります。
重症になると生命に関わる可能性があるため、迅速な対応が必要な病態です。
悪性高熱には、生まれ持った体質(遺伝的素因)が関係していると考えられています。
筋肉の細胞内ではカルシウムが厳密に調節されていますが、悪性高熱の素因を持つ場合、麻酔薬などをきっかけにこの調節がうまくいかなくなり、筋肉の代謝が急激に高まります。
その結果、大量のエネルギーが消費され、二酸化炭素や熱が作られます。
重要なのは、通常の術前血液検査だけでは、この体質を事前に予測することが難しいという点です。
また、これまで麻酔を受けて問題がなかったからといって、将来も絶対に起こらないとは限りません。
悪性高熱は人の麻酔医療でよく知られていますが、犬や猫でも報告されています。
ただし、日常的に遭遇する麻酔合併症ではなく、非常にまれな病態です。
そのため、「全身麻酔をすると高熱になることがよくある」ということではありません。
むしろ通常の全身麻酔では、体温は上がるより下がることの方が一般的です。
麻酔中に大切なのは、動物の状態を継続的に観察することです。
動物病院では麻酔中、心拍数、心電図、血圧、血中酸素飽和度(SpO₂)、体温、呼吸状態などを確認します。設備によっては呼気中の二酸化炭素(ETCO₂)なども測定します。
悪性高熱では、実は体温が大きく上昇する前に、二酸化炭素の増加や心拍数の変化などが現れることがあります。
そのため、麻酔中のモニタリングは「眠っているかどうかを見る」ためだけではなく、小さな異常をできるだけ早く発見するために非常に重要なのです。
悪性高熱が疑われた場合には、原因となっている可能性のある麻酔薬を中止し、酸素投与、換気、体温管理、輸液、電解質や酸塩基バランスの管理、不整脈への対応など、その時の状態に応じた集中治療を行います。
また、悪性高熱に対する特異的な治療薬として**「ダントロレン」**という薬があります。
大切なのは、異常をできるだけ早く発見して対応することです。
このようなお話をすると、「やっぱり麻酔は怖い」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、悪性高熱は非常にまれな麻酔関連合併症です。
そして麻酔には悪性高熱以外にもさまざまなリスクがある一方、手術や歯科治療など、麻酔を行うことで得られる大きなメリットがあります。
私たち獣医療従事者が大切にしているのは、「麻酔には絶対にリスクがない」と考えることではなく、起こり得る変化を想定し、できるだけ早く発見して対応できるよう準備することです。
術前検査を行い、動物の年齢や持病などを確認し、その子に適した麻酔薬を選択する。そして麻酔中から覚醒するまで状態を継続的に観察する。
こうした一つひとつの積み重ねが、麻酔の安全性につながります。
過去に麻酔を受けた際、
「なかなか麻酔から覚めなかった」
「原因不明の高熱が出た」
「不整脈が出たと言われた」
「麻酔中に予想外のトラブルがあった」
といった経験がある場合は、たとえ何年も前のことであっても、次に麻酔を受ける際にぜひ獣医師へお伝えください。
その情報が、次回の麻酔方法や使用する薬剤を検討するうえで非常に重要な手がかりになることがあります。